DancersWeb Vol.68
日髙世菜

「踊ることが できる今がとても幸せです」
Hidaka Sena
Kバレエカンパニー・プリンシパル
2021年1月よりKバレエカンパニーにプリンシパルとして入団した日髙世菜。約11年間の海外生活を経て、新たに日本で始動することとなった。新たな出発への思いとこれまでのバレエライフについて語っていただいた。
― 4歳からバレエを習いはじめたきっかけはありましたか?
幼稚園の友達に誘われたのがきっかけでバレエを体験してみたところ、すごく気に入ったようで、そのまま習いはじめました。実はその前から、テレビの教育番組を観ながら真似して踊ることが好きだったみたいです。
― バレエ以外にもジャズダンスやタップダンスも習っていたとのことですが、最終的にバレエを選んだ理由は何だと思いますか?
様々な先生との出会いがあって、バレエは4歳から、ジャズダンスとタップダンスは9歳の頃から習いはじめたのですが、バレエを“選んだ”という感覚はないですね。ジャズやタップを習い始めた理由が、バレエを踊るための身体の可動域を広げるためだったので、最初からバレエしか見てなかったように思います。
―プロのダンサーに本気でなりたいと考えたのはいつ頃からですか?
プロのダンサーに本気でなりたいと明確に思ったことはなく、私の最初のカンパニーであるルーマニア国立バレエ団(ONB)に入団してプロとしてバレエを踊っていくうちに、自分がプロのバレエダンサーである自覚が生まれました。
―学生時代にバレエ以外で興味があったのものは?
バレエをやっていたからかもしれませんが、当時から宝塚が好きでよく観劇していました。
―幼い頃の憧れのダンサーは?
キーロフ(現マリインスキー)やボリショイのビデオを観て育ったので、ロシア人バレリーナに憧れはありました。当時よく見ていたのがアルティナイ・アスィルムラートワさん。ロシアスタイルでありながら、ダイナミックで印象に残る踊り方がとても好きでした。
―もしダンサーになってなかったら、どんな職業を選んでいたと思いますか?
バレエの先生をしていたと思います。バレエ以外の道を考えてみても、果たして自分が何に興味を持つのかまったく想像がつきません。
―これまで色々なバレエ団を経験されていますが、大切にしてきたことはありますか?
私の周りにいてくださった方々の支えがなければ今の自分はないと思っています。きっとバレエも続けてこれなかったでしょうし、海外で踊り続けてもいなかったと心から思います。そして、母、弟、今まで出会ってきた先生方、監督、先輩、同僚、仲間、皆さんの気遣いや支えがあったから、励みになり、色々なバレエ団で素敵な経験が積めたのだと感じていますし、感謝しています。
―ターニングポイントとなった出演作品はなんでしょうか?
ルーマニア国立バレエ団の入団2年目に、ゲストで来られたアリーナ・コジョカルさんとダブル主演をさせていただいた、ヨハン・コボー版「ラ・シルフィード」です。
それまで私はロシアのバレエスタイルにしか興味がなかったのですが、コボーさん、アリーナと出会いご指導いただいたことで、バレエを踊るスタイル、解釈の仕方、表現の方法など考え方の幅が広がりました。2人との出会いはとてもありがたく、貴重な経験になりました。
―これまでダンサーとしてもっとも辛かった困難な経験はありましたか?
ある作品の振付家に「それでプリンシパルとして踊ってたの!?」と言われてしまったときはすごく悲しかったですし、どうすればいいのか分からなくなってしまいました。
立ち直るまでの期間はそんなに長くかからなかったのですが、その振付家の前では萎縮して上手く踊れなかったりしました。
別のリハーサルでも引きずって大泣きしてしまい、それを聞いた監督に呼び出されて慰めていただいたり…。そのときは、人から優しい言葉をかけてもらっても素直に聞けない状態でしたが、時間と共に気持ちが落ち着いていき、やっと立ち直ることができました。
ですが、「もっとも」と言われると、やはり2020年にアメリカで経験した新型コロナ感染症によるロックダウンの期間が一番辛かったですね。日本に帰ってこれて、Kバレエカンパニーに入団させていただき、踊ることができる今がとても幸せです。
―ダンサーとして、これだけは譲れないといったご自身の「美学」はありますか?
私は「美学」を語れるような器では無いのですが、全幕バレエを踊る上で意識しているのは、役を理解することです。何度も主役を踊るようになったからこそ気づけることも、もちろんありますし、この役はこうあるべきという考えだけで演じるのはつまらないのではないかと思うからです。
「美学」でもなんでもないのですが、好きなバレエを仕事にしていて、成長していきたいと思っているので、追求していくことは私にとっては普通のことです。
―約11年間海外のバレエ団でプリンシパルと活躍されて、日本に活動の拠点を移すことになった決め手は?
海外のバレエ団にはルーマニアに5年、アメリカに4年在籍していたので9年。留学期間も入れると11年にわたる海外暮らしでしたが、実は留学期間の終盤頃から日本に帰りたいという思いを抱いてました。
海外に留学しているからという流れで、運良くそのまま海外のバレエ団に入団しましたが、プロになってからも、日本でプロとして活躍したいという思いがなくなることはありませんでした。
せめて30歳前には日本に拠点を移せたらと常に思っていましたが、自分の夢とはいえ、在籍カンパニーに迷惑をかけるような行動はしたくなかったので、帰国してオーディションを受けるタイミングがなかなかありませんでした。
そんな中、このコロナ禍でアメリカがロックダウン、バレエ団活動の復活が分からない状況になってしまいました。帰国してもバレエ団に迷惑が掛からない今を利用し、オーディションの志願メールを送り、Kバレエカンパニーに入団する運びとなりました。コロナという状況にもかかわらずオーディションをしていただけて、念願叶って入団させていただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
―3月に『白鳥の湖』でオデット/オディール役で主演デビューを飾ります。
22歳のときに、ルーマニア国立バレエ団ではじめて踊られた白鳥ですが、今回リハーサルを重ねる中での新しい発見はありましたか?
私はいかり肩なので、白鳥のアームスをするときに肩を下ろすことばかりを気にしていました。ですが今回、舞踊監督の渡辺レイさんに「逆にその肩を生かせるような使い方をして良いんだよ」と言っていただけたことが、私にとってすごく新鮮で励みになりました。しっかりと身につくように鍛錬していきたいです。
―ジークフリード役の髙橋裕哉さんはどんなダンサーですか?
身長も高くスタイルも良いので舞台映えする容姿を持っていて、踊り方もフレッシュで力強く、若い王子役にぴったりなダンサーだと思います。
私が167cmなので体格的にもぴったりなパートナーとして髙橋くんと巡りあえたことに感謝しています。これからもっと2人で極めていけるよう、取り組んでいきたいと思います。
―5月には『ドン・キホーテ』でキトリ役での出演も決まっていますね。
その役でもっとも印象に残っている舞台はありますか?
やはりルーマニアでキトリ役のデビュー後に、舞台上でプリンシパル昇格の発表があったときですね。自分のキトリデビューが終わったと安堵しながらカーテンコールをしていたところへコボー元監督が舞台上に現れ、訳が分からないまま表彰されて・・・。
嬉しいという気持ちよりも驚きと、本当に私で良いんですか!? という疑いの気持ちの方が強かったです。その舞台は一番印象に残っています。
―これからの夢やプランをシェアしていただけますか?
日本に拠点が移り、Kバレエカンパニーのお陰で様々なメディアに私のことを取り上げていただいているので、今は目の前のことに精いっぱい取り組み、Kバレエの名にふさわしいプリンシパルとして胸を張って在籍していられるよう、精いっぱい努めることだけを考えています。
K バレエ カンパニー Spring 2021「白鳥の湖」
2021年3月24日(水)~28日(日) Bunkamuraオーチャードホール
https://www.k-ballet.co.jp/contents/2021swanlake
K バレエ カンパニー Spring 2021「ドン・キホーテ」
2021年5月19日(水)~23日(日) Bunkamuraオーチャードホール
https://www.k-ballet.co.jp/contents/2021donquixote
【日髙世菜プロフィール】
兵庫県生まれ。4歳よりバレエを始める。2008年バレエコンペティションin奈良シニアの部で一位を受賞。同年ロシア国立ワガノワ・バレエ・アカデミーに留学。11年ルーマニアのブカレスト国立歌劇場バレエ団に入団、14年プリンシパルに昇格。「World Ballet Stars」(ニューヨーク)など世界各地でのガラ公演に参加。16年アメリカのタルサバレエに移籍、19年プリンシパルに昇格。数々の作品で主演を踊る。
https://www.k-ballet.co.jp/sena_hidaka
