DancerWeb
Vol.50

佐藤洋介 Sato Yousuke
「ダンスに終わりはない」
ダンサー・振付家
もはや、「〇〇」ダンサーというジャンル分けが不要なダンサー・振付家の佐藤洋介。ダンスのきっかけはマイケル・ジャクソンだが、バレエを基礎としたジャズダンスを得意とし、コンテンポラリーダンサーとしても同業のトップクラスのダンサーたちと舞台に立つ。また、松田聖子や小柳ルミ子のディナーショーでダンスシーンを飾るなど、多方面で活躍している。オフのファッション・スタイルはジャージに下駄が定番。下駄のこだわりは「プレゼントでもらってから履くようになった」とのこと。撮影シーンには、下駄を持ってコミカルにポーズを決めたり、柱に立ってバランスを取る、はたまた犬の散歩について行ってしまうなど、茶目っ気たっぷりに挑んでくれた。
最初はダンスにどんなジャンルがあるのか何も分からないまま、色々なジャンルのダンス・スタジオの見学をしたという。
「高校1年ぐらいだったかな。『ダンス』とあるのはどこでも見に行き、色々探し回りました」
そこで行き着いたのがボビー吉野のジャズダンス・スタジオ。バーレッスンをはじめて基礎から学んだ。
「今でも吉野さんから仕事のオファーをいただいたり、つながりがある。一番最初の師匠です」
~ただただ踊りたい
19歳でダンサーとして活動しはじめたのはかなり早いスタートだったが、即ダンサーとして活動をはじめたのではなかったという。将来を心配した父親から、まず四等航海士の資格を取ることが条件だった。
「高校1年の冬から国立館山海員学校に3年半通いました。寮生活で第2、第4の土曜がお休み。金曜の夕方に実家に帰り、土曜日のダンスクラスを2つ受けて、それで日曜に寮に戻るという生活を続けていました」。
そして無事に同学校を卒業後、「じゃ、踊るね」と親に告げ、ダンスの世界に堂々と身を浸すことになる。
ダンスレッスンに没頭する日々の傍ら、次のアルバイトを探すために手に取ったアルバイト雑誌で、「ディズニーランド・パレードダンサー募集」の文字が飛び込んでくる。
「バックダンサー以外に、踊りの職業があるのをはじめて知りました。ものすごく楽しかった。それまで男臭い引っ越し業者や工事現場などのアルバイトだったのが、女性の数の方が多い世界になった(笑)。お客さんの喜ぶ顔が間近で見られるし、充実していました」。
そこで1年半を過ごすが、同時に、プロのダンサーとしての意識も高かった。
「ダンサーとしてちゃんと訓練したいと思っていたとき、劇団四季では月曜から金曜までダンスクラスがあって、それが無料で受けられるって聞いたんですよ」
そして即オーディションを受けに行き、劇団四季の研究員としての生活をスタートさせる。
「本格的なバレエレッスンは劇団四季で学びました。でも演技と歌のレッスンはパスして、外部のダンスレッスンを受けに行ったりしたこともあった(笑)」
そして1年を過ぎたころ『ジーザスクライストスーパースター』『ライオンキング』の2つの舞台にキャスティングされるも、やはり踊りに集中したい気持ちが強く、劇団四季をあとにする。
20代前半には単身ニューヨークに飛び、2週間ダンスレッスンを受けた。
「僕が通ったのは一般人たちが通うクラスだったんですが、一番刺激を受けたのは、踊りに対する生徒たちの姿勢ですね。体の大きい丸々した人から色々な人たちがレッスンを受けていたんですが、みんなすごく楽しそうだった。日本との違いに驚かされました」
その後も日本で様々なダンスクラスに通うが、もっとも影響を受けた師匠に、ジャズダンス・スタジオの名倉加代子の名を挙げる。
「スキルだけでなく、人間的なあたたかさや考え方、教え方に一番影響を受けました。たとえば、ダンサーのひとり一人に『ここがまだだけど、こういうところは成長できたわね』と、一対一でアドバイスをする。中々できないことだと思います。
僕自身、壁にぶちあたったりしたときに名倉先生に相談すると、正しい答えを導き出してくれる。大きなミスをしてしまったというときでも、先生に話すと、大した失敗じゃなかったのかなと思わせてくれる」
その信頼おける名倉先生との共演で忘れられない舞台がある。
「2012年の青山劇場で、名倉先生とはじめてデュエットを躍らせてもらいました。男性ゲストが2回ずつ踊るパートで僕が初日でした。
先生と踊るのは憧れで夢でした。終演後のカーテンコールで、先生とふたりで手をつないでおじきをしたとき、先生の手が『やったわね、洋介』というように強く握ってくれたんです。すごく感動しました」
その名倉加代子や、ボビー・吉野、吉元和彦の師匠たちとの出会いが、佐藤洋介のスタイルを確立していく築きになった。
~ローラン・プティからの出演オファー
ローラン・プティに見いだされた日本人ダンサーといえば、菊地研(牧阿佐美バレヱ団プリンシパル)が有名だが、じつは佐藤洋介もそのうちの一人である。「“見いだされた”なんて書かないでください」と本人はいたって謙虚だが、プティから直接声がかかり、2004年の『ピンクプロイドバレエ』に出演が決定したのはまぎれもない事実である。その経緯が面白い。
「広崎うらんさんから舞台のアシスタントを頼まれて、スタジオで道具を運ぶのを手伝っていたところ、プティさんも現場にいらっしゃったんです。
それで、プティさんから『ちょっと踊ってみて』と突如声をかけられて、即興で踊ったら『面白い』と言われ、急遽出演キャストに加わることになったんだけど、じつはプティさんが誰だかそのとき僕はまだ知らなくて(笑)」
道具を運んでいる歩き方に目をつけるプティの眼力もやはりすごい。
佐藤洋介のダンサー仲間の辻本知彦・森川次朗・柴一平も加わることになり、マリ=アニエス・ジロとで『Run Like Hell』を踊った。
「そのほかの『Money』『When You're In』にも出演することになり、とにかく大変(笑)。バーレッスンに加わって、トップレベルのバレエダンサーを目の当たりにして、改めてすごいなと感動しました。振付も複雑で本当にハードでした」
想像以上に、ダンスパフォーマンスは過酷なのだろう。
「ほかにも忘れられない舞台といったら、2005年のジャズダンス協会『YOSHITSUNE』ですね」源義経をモチーフにした主役に抜擢。当時27歳。
「主演がはじめてでしたし、頭の上より高いリフトをするのも初だったので、それもチャレンジングでしたが、戦国武将だから闘うシーンが多くて、常に舞台にずっと出続けるので、最後のシーンでもう脚がガクガク。もうこんな感じ(と実演)。最後のシーンで立っているだけで本当に精いっぱい(笑)。体力的な大変さを痛感しました」
肉体的なハードさでいえば、2017年の『Linked Horizon Live Tour 2017 「進撃の軌跡」』も忘れられない舞台のひとつと語る。
「進撃の巨人」のアニメーションをバックに、生オーケストラとダンスパフォーマンスが繰り広げられる。ダンサーは佐藤洋介、OBA、細木あゆ、矢島みなみが出演。
「長い旗を持って踊るシーンがあるんですが、1回1回旗を振り下ろすごとに『人を斬る』という強い感情を込めるので、これもかなり過酷でした。でも、それに挑める自分が楽しいんですよね」。
高校1年生のころからダンスへの情熱は変わらない。
「踊りをやめようと思ったことは一度もないですね。振付を覚えて終わりではなく、そこに感情を盛り込んだり、ニュアンスの鍛錬をしたり、ダンスに終わりはない。これをやれば良いという成功もない」
異業者たちからダンスの魅力について教えられたこともあるという。
「ステージのバンドメンバーと飲みに行ったとき、『僕たちは楽器や機材がないと何もできないけれど、ダンサーは身ひとつで表現できるところが素晴らしいね』って。今まではそんなこと考えたことがなかったけど、逆に気づかされました。ダンスはやろうと思えばどこでもできるし、何より音楽と身体が一体となったときの気持ち良さは最高です」
~“伊藤陽子”の誕生秘話
佐藤洋介の人間的魅力を語るのに、クラスの生徒たちへの愛情の深さがある。ダンスレッスンの受講者は90%以上が女性。その彼女たちがいるからこそ、ダンサーとしての職業が成り立ち、舞台にも立たせてもらえていると感謝を示す。
「レッスンに励んでいる姿、踊りと向き合っている姿勢が美しいし、忘れてはいけない初心を女性たちから学ばせてもらっています。
リハーサルとか本番とか続くと肉体的・精神的にもつらい部分があったりします。でも自分のクラスのレッスンで、生徒たちの無心な姿を見ていると、励みになる。無我夢中で踊ってくれるし、すごく嬉しいですよ」
「ダンス業界の女性に対して尊敬することが多々ある」「女の人の気持ちを分かりたい」との思いから、“伊藤陽子”が誕生する。
「ハイヒールで踊るってどれだけ大変なのか分かるためにも、女の人になって舞台に立ちました(笑)」
その舞台が、2017年のDANCEWORKS主催の『MUSUBI』。つばの広い帽子にロングヘア、ロングパンツ、ハイヒールで登場。優美なラインと妖艶さを湛えたダンスに、それが佐藤洋介であることを見抜けた人はそう多くなかっただろう。
「生徒たちから衣裳を借りて、胸にソックスをつめて、網タイツを履いてヒールで踊ったら、土踏まずがエライことになりました(笑)」
それ以外にも、劇団四季時代にポアントを履いたこともある。
「ポアントで爪先で立てたらモノになるはずと思って、訓練のために特注でオーダーしました。そして両手でバーにつかまって、一番ポジションでトウで立つ!
をやってみたんですが、…できなかった。そのときしか履いていないですね。今は押し入れに入っています(笑)」
自身のクラスでは、ヒールを履いて踊るレッスンも組み込んでいる。それには歩き方へのこだわりがある。
「ハイヒールを履いてジャズウォークをするんですが、引き上げができていないと、こうやってお尻を左右に振って歩く形になるけど、背中をまっすぐに引き上げて、こういう歩き方の方がスタイルが良くなる」(と実演)。
様々なダンス・スタジオでインストラクターとしても活動中だが、2019年1月には明大前に<佐藤洋介ジャズダンスクラス>を開講。現在15人ほどの生徒を抱える。
「プロダンサーもアマチュアも誰でも受け入れていますが、レッスンにおいでとは勧誘しない。僕はいつも自分で考えて決断してきたので、それぞれの思いを尊重したいし、
受けたければ受ければいい。でも来るならめいっぱい踊ってねって(笑)」
ダンサー・講師以外にも振付のオファーもある。
「挑戦してみたいと思っていました。こういうもの創りたいというイメージがあって、それに合った音楽を選んで、振付に入る。振り付けたい作品はいっぱいあります。ジャンルは基本的にジャズダンス。バレエの要素を織り込んだ作品を創っていきたい」
今後の出演は、2019年の8月24日(土)、25(日)と12月7日(土)、8日(日)の名倉ジャズダンス、9月1日(日)は岸辺バレエスタジオ、10月から2020年の1月13日(月・祝)まで森山開次とダブルキャストでミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイヤ』に出演と、多彩なジャンルでの舞台が待っている。
「ダンス界のカズ(三浦知良)みたいに、どこまで現役でいけるか。彼のようなレジェンドにはなれませんが(笑)、まだまだ踊ります!」
