DancerWeb
Vol.52

矢内千夏 Yanai Chinatsu
「音楽にはヒントがいっぱいある」
K バレエ カンパニー・プリンシパル
Kバレエスクールで1年間学び、2015年にKバレエ カンパニーに入団。1年目で熊川哲也芸術監督に認められ、『白鳥の湖』で初主演に指名されるが、その当時まだ19歳。ソリストにも昇格していない階級で主演に抜擢されるというセンセーショナルなデビューを果たした。そのわずか4年後の2019年12月にプリンシパルに昇格し、ますます輝きが増す矢内千夏のバレエライフに迫ってみたい。
同カンパニーの入団に至ったのは、2003年から活躍しているプリンシパル・荒井祐子の存在が大きいと語るが、ファンになったきっかけはというと?
「祐子さん主演の『ドン・キホーテ』のDVDをはじめて見たときに衝撃を受けました。スキルの高さはもちろんですが、とてもチャーミングなキトリで、
舞台に立っているだけで目が離せなかったんです。
それ以来、祐子さんが踊った同じヴァリエーションを踊りたいという思いを抱いていて、コンクールで実現できたのですが、後で収録映像を観て、自分が思い描いていた理想とあまりにかけ離れていて、大泣きをしました。中学2年生の頃だったと思いますが、祐子さんとの実力の差があり過ぎて落ち込んだことを覚えています」
とはいえ、この当時バレエダンサーを目指していたわけではなかった。
「私はプロにならないだろうと思っていました。いいなぁという憧れはありましたが、自分とは別世界の人たちだと感じていました」
じつは、実家は群馬県で明治33年から創業している老舗の和菓子店「松露庵(しょうろあん)」を営んでいる。
「父親は若いころに体操選手になる夢があったらしいんですが、和菓子店を継がなければならなかったので、私には『やりたいことをやりなさい』と応援してくれますが、
本心は継いでもらいたかったのかもしれないですね」
5歳でバレエをはじめてから、レッスンは欠かさず通っていた。
「小学高学年のころは、深夜12時までお教室でレッスンしていました。夜9時まで通常のクラスがあり、それから3時間ヴァリエーションのレッスンがありました。プロになった今は続けても2、3回通して練習するくらいなのですが、その当時、10回から15回続けて踊る練習をしていました。
両親は、私がコンクールで入賞するようになって期待もあったと思うのですが、それを口にすることなく先生にお任せしますという姿勢でした。私はただ先生に褒められたいという一心でしたが、だんだんと何のために踊っているんだろうと辛くなってしまい、バレエからしばらく離れることにしました」
そして、これまでできなかったことを楽しんでみるが……、
「友達と放課後に遊ぶことは楽しかったのですが辞めたら何もなくなってしまった。 バレエを踊っているときが一番自分に自信を持てるときだったと気づいたんです。以前とは別の教室に通うことになったのですが、あの頃に教えていただいた先生がいなかったら、こんな風に成長していなかったと感謝しています」
~かけがえのない言葉 ~
新しい教室ではバレエの楽しさを教わり、踊ることへの情熱がさらに高まる。その後はKバレエ スクールに編入し、憧れの荒井祐子先生から教わる機会を得て、スキルもみるみる上達した。
「素晴らしいプリマなのに気さくに話しかけてくださる先生で。私がプリンシパルに昇格したときも自分のことのように喜んでくださいました。『これからも変わらないでいてほしい。どんな立場になっても初心を忘れないで』と励ましの言葉をかけてもらいました」
2018 年にプリンシパル・ソリストに任命され、わずかその3か月後にはプリンシパルという驚異のスピードでの昇格となった。
「『白鳥の湖』の初主演では、それまで全幕自体を踊ったこともなく、すべてがはじめての経験でした。そのときはベストを尽くしましたが、今思うと自分のことで精一杯で、周りとのコンタクトを取るという余裕がなかったと思います。今では舞台に立ったとき色々なものが見えるようになり、周囲のダンサーとも共有できるようになって、以前より役に感情移入しやすくなりました。
役への取り組み方については、まずストーリーを理解して、周りとの関係性を知りながら、自分だったらどうするかを考えます。そして自分で創り上げた世界観を芸術監督の熊川さんに見ていただいて、アドバイスをもらっています。
本番当日は、わりと独りになりたいタイプかもしれませんね。 前日から舞台のことしか考えていないですし、その世界に入っていられるように、本番直前までずっと音楽を聴いています。この音だから、こういう感情が出てくるとか、音楽にはヒントがいっぱいあると思います」
その矢内をいつも支えてくれている言葉がある。
「2016年に『ラプソディ』に主演させていただいたのですが、本番中にリフトで失敗して落ちてしまったんです。頭が真っ白でパニックになりました。終演後に、バレエ・ミストレスの前田真由子先生に謝りに行ったのですが、思いがけない言葉をいただいたんです」
『舞台の真ん中を務めた人にしか、そういう気持ちはわからないし、私も味わったことはない。でも、それを今経験できたんだから、その重みを忘れないで、しっかり受け止めて成長しなさい』
「この言葉を思い出すたびに涙が出ます。今もずっと大切にしている言葉です」
2018年10月に主演した『ロミオとジュリエット』も忘れられない舞台のひとつだという。
「祐子さんの影響もありました。この作品に主演することが夢だったという記事を読んで、それほど素敵な役なら私も踊りたいと、それが私の一つの夢になっていました。特に忘れられないのは、バルコニーのパ・ド・ドゥのシーンです。恋に落ちたロミオがそこに立っていて、いま舞台に立っている感動と音楽に感情を揺さぶられ、もうずっとこのままだったらいいのに、と思いました。 クライマックスのロミオの死に気づいた場面では、涙がボロボロ出てきてしまいました」
リハーサルのときから涙が止まらなかったというほど、役に入り込んでいた。
「死ぬのは怖い思いも少しあったので、それを断ち切るようにナイフを勢い良く自分の胸に刺していたのですが、熊川さんから、『ロミオにもう一度会える気持ちの方が強いから、苦しさはあまりないんじゃないかな。線香花火がそっと落ちるように演じてほしい』とアドバイスをいただき、 それから演じ方も気持ちもすごく変わりました。リハーサルのときと本番では、まったく違う種類の涙になりました」
そしてついに、2019年3月の『カルメン』でファーストキャストに抜擢。しかも、相手役のホセは芸術監督の熊川哲也。
「役に入ることには楽しめていたのですが、リハーサルについていけるかどうか不安でいっぱいでした。でも、熊川さんの音楽性や表現力が素晴らしくて、引きずり込まれる感覚です。言葉で注意を受けるというよりも、踊りを通して気迫や凄みを見せられました」
カルメンの人物像は、多くのバレエ作品に登場するようなキャラクターとは異なる。
「周りからは、透明感がある踊りだと言っていただけていたので、それは自分の強みだと思っていました。それは若さからなのか、ジャンプの印象なのかは定かではないのですがリハーサルで、それが悪い方向に行ってしまうこともあると気づきました。 中村祥子さんや祐子さんのカルメンは重心が下にあって、それが大人っぽい女性の雰囲気を醸し出しています。カルメンは無重力が似合わないキャラクターなので、あまり引き上げすぎないように注意しました。
熊川ディレクターと初共演したカーテンコールでは、拍手の熱さがいつもと全然違いました。改めてものすごい存在なんだなというのと同時に大きな壁を感じ、私はまだ全然たどり着けないという、悔しい気持ちも起きました。終演後はいつも余韻に浸るのですが、このときはいつもと違う感覚がありました」
と振り返るが、もちろん熊川だけに向けられた称賛ではないはずだ。 その強い気持ちがあるからこそ、入団以降の驚異的な成長へとつながっているのだろう。
「今後は、謎めいた女性やクレイジーな役なども、機会があれば踊ってみたい」と意欲は尽きない。
次なる舞台は、9月27日(金)から開幕する新作『マダム・バタフライ』。
ジャコモ・プッチーニ作曲の名作オペラ『蝶々夫人』をモチーフに、また新たなバレエが誕生する。Kバレエ カンパニー設立20周年に、総力を挙げて挑む豪華なキャスティングとなっており、日本のバレエ界を揺るがす大作になりそうだ。
主人公のマダム・バタフライに、矢内千夏/中村祥子/成田紗弥と、アメリカ海軍兵のピンカートンに堀内將平/宮尾俊太郎/山本雅也のトリプルキャスト。
「日本らしい旋律と振付の中に日本舞踊のような独特な動きも取り入れられていて、日本ならではの美しさに共感していただけると思います。
相手役の堀内さんとは何度か共演させてもらっていますが、表現力が柔らかくて優しいオーラを持っているダンサーです。ピンカートンはかなり年上の設定ですが、包容力のある堀内さんのイメージとぴったりなので楽しみです。良いパートナリングを期待していてください」
○公式URL
https://www.k-ballet.co.jp/chinatsu_yanai
○プロフィール
2012年第12回オールジャパンバレエユニオンコンクール ジュニアⅠの部 第1位、第69回全国舞踊コンクール ジュニアの部 第1位。14年9月Kバレエ スクールに入学。
15年Kバレエ スクールパフォーマンスで『パキータ』主演。
15年8月Kバレエ カンパニーにアーティストとして入団。
16年5月ソリスト、17年9月ファースト・ソリスト、18年9月プリンシパル・ソリスト、同年12月プリンシパルに昇格。
