Vol.60
【Dancers 2020年4月 カバーインタビュー
安藤洋子/ダンサー・振付家
「すべて分かってしまったら面白くない」


鮮やかな赤いハイヒールとミナ ペルホネンのワンピースを纏い、カメラの前に颯爽と
現れた安藤洋子。明るい笑顔で色々なポーズに応じてくれるその姿は、すでに人を惹きつける魅力に溢れている。
21世紀を代表する先鋭振付家ウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルト・バレエ団に、2001年からアジア人としてはじめて入団、その後もザ・フォーサイス・カンパニーのメインダンサーとして15年以上活躍してきた。2016年からはドイツから日本に活動拠点を移し、創作活動以外にも次世代の若手ダンサーたちの指導にも情熱を注いでいる。
ダンサーとしてのイメージが強い安藤だが、じつは、1998年の野田秀樹・主催のNODA MAP公演『ローリング・ストーン』に出演した経験もある。3千人のオーディションからたった数人が選ばれという、すさまじい倍率だ。
~感受性豊かな学生時代~
「野田さんからは、身体と言語それぞれが持つ表現の力を教えていただきました。『身体と言語はクロスする。そのクロスする点となるものを探している。それにはポエムがないといけない』と教えられました。言葉の持つパワーに圧倒され、ダンスを辞めたくなるぐらいの絶望感を味合わせられましたが、阿部サダヲさんや八嶋智人さんなど才能溢れる役者の方たちとの出逢いなど、180度ぐらい人生観が変わるぐらいの貴重な経験でした」
ダンスをはじめる前、中学、高校ではバトミントンに熱中していた。
「肩は強かったんです。ソフトボール投げの記録もかなりすごかったんですよ。でも柔軟性はあまりなかった(笑)。高校生の頃から漫画の『ダンシング・ゼネレーション』を愛読したり、映画『フラッシュダンス』などに影響を受けたりしていました。」
その興味は、バトミントンを続けながらダンス教室に向かわせた。
「私が最初に習ったのはジャズダンスでした。高校にレッスン着が入っている大きなカバンを持って、授業のあとに東京に出てレッスンを受けていました。そのうち、もっと基礎からダンスを習いたいと思い通い始めたのが、牧阿佐美バレヱ団系列のお教室でした。
最初は大人のクラスでしたが、バレエ用語も分からずチンプンカンプンで、何一つまともにできなかったので小学校1,2年生のクラスに入れさせてもらいました」
多感な時期の女子高校生が、6,7歳の子どもたちと混じって、真摯に学ぼうというその姿勢に感銘させられる。
「カラダが硬かったのでので、肉体的には大変でした。どうしたらできるようになるかという思いで模索しながらレッスンを受けていました。練習を重ねて回れるようになったけれど、バレエの型に全然はまっていない。そのうち、なぜその形にしなくてはいけないのかという疑問が出るようになった。18歳からの遅いスタートだったので、どのように身体を使えば良いかを常に理論で理解しながらやらないと、ダンサーの身体は獲得できないと思い、理論と実践を両立させながら稽古をしていました」
そこからフォーサイスへと繋がる道のりが、なんとも感動的だ。
「初めてフォーサイスの作品を観たのは、1992年に上演された『失われた委曲』です。2部構成の作品で、1部の『The Second Detail』では、その頃誰も見たことのないような斬新なバレエをガンガン踊っていて、特に黒人のダンサーが素晴らしく、衝撃的でした。
とにかく、彼らはすごくかっこ良くて、人種の違いはもちろんのこと、背の高い人、小柄な人、体格(がたい)の良い人など色々な個性が混在するバレエを観たのが初めてだったので、本当に驚きました。
そして2部の『The Loss of Small Detail』では、バレエの枠をはるかに超えた自分の観たことのない世界が目の前に広がり、衝撃的で完全に頭がホワイトアウトしたことしか覚えていません。
それが不思議ですね、まさか自分が10年後に踊ることになるとは思わなかった。
踊ってから分かったのですが、この作品は三島由紀夫の小説からインスピレーションを得て振付けたものなので、自分の中にあるDNAの何かとリンクするものがあったと思います。もしこの作品が西洋的なテイストだったら、ここまでの衝撃にはならなかったと思うのですが、その舞台の世界に自分がボンッと入ってしまったような感覚っていうのかな」
その後もフランクフルト・バレエ団の公演に足を伸ばした。
「『Enemy in the Figure』という作品をさいたま芸術劇場で観て、その出演ダンサーのトニー・リッツィー(Tony Rizzy) がとにかくすごかった。感動が尋常ではなかったぐらい衝撃が強くて、今思うと作品の力が何よりも素晴らしかったというのもありますが、それを自分のものにして踊りこなしていたトニーもすごかったと思います。作品そのものも、もちろん素晴らしくて雷に打たれたようになりました。こんなに感動したことがなかったので、その気持ちを伝えたいという思いでいっぱいになり、のちの東京文化会館での上演後に出待ちをして、手紙を渡しました。手紙は、『ダンサーが自分という個性を主張することがまったくなく、生命そのものだった。細胞分裂のようなミクロの世界とマクロの宇宙を両方観ている。ものすごいエネルギーを感じた』といった内容だったと思います」
~飽くなき探究心~
安藤は自身が出演する渋谷クワトロでのゴスペルライブにトニーを招待するが、安藤の踊る姿にトニーはダンサーとしての資質を見い出したのだった。その後、1999年の坂本龍一のオペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』でトニーが振付をすることになり、安藤に声がかかる。
2001年3月には新作公演の為にフランクフルトに招待され、再びトニーと踊る。
「フォーサイスがその舞台初日を観に来ていたんです。公演後の初日乾杯のパーティーで、ヨーコ、僕と一緒に仕事をしないか? と、フォーサイスから直接オファーをいただきました。夢のように嬉しかったです」
それから、メインダンサーとして15年間の長きに渡って活躍する偉業を遂げる。
「踊り続けられたのは、フォーサイスを尊敬して信じてこれたからだと思います。数人のダンサーが20年間彼の元で踊り続けたのですが、どんなにスキルが高くても、3ヶ月で辞める人や辞めさせられる人もいました。フォーサイスは毎回新作のクリエーションの進め方が違うので、次に何が起こるか誰も知らないんです。それを苦しみながらも楽しめるダンサーが、結局残ったんでしょうね」
そして、意外な言葉を口にする。
「フォーサイスもそうですけど、たぶん自信がないんですよね。でもそれは全然悪いことじゃない。だって、すべて分かってしまったら面白くないじゃないですか。
ダンサーを大きくふたつに分けると、自分の引き出しを増やし続けるか、確固とした自分を確率させるかのどちらか、なのかもしれない。私は、色々な引き出しを増やしていくタイプだった。振り返っても、私ほど色々な役をやった人はいないと思う(笑)。それはたぶん私の好奇心の強さですね。色々なものになることができましたし、適応能力はあったと思います」
フォーサイスからは、ダンサーとしてどんなところが評価されたのだろう?
「『学ぶ姿勢が面白い』と言われました。吸収してゆく過程を見ているのも面白かったようです。
彼の出演作品のなかで一番思い出深いのは『DECREATION』です。世界で一番大変だった!と叫びたいぐらい、肉体的にも精神的にもすごく辛かった。フォーサイスは誰も見たこともない概念を生み出すことへの欲求が強く、ダンサーに高いクオリティを求めました。
ダンスとアートとの関連性にも強く意識させられましたし、何か新しいものを生み出すことは、痛みを伴うことを体感しました。
あれほど泣いて笑ったリハーサルはその後も経験したことがありません。フランクフルト・バレエ団が解散する1年前の2003年だったので、私にとってもカンパニーにとってもかけがえのない作品です。フォーサイス自身も、本当にやりたいことしかやらないと公言していました。
フランクフルト・バレエ団解散後、フォーサイスは新しいカンパニーをつくり(ザ・フォーサイス・カンパニー)11年存続し、2015年に解散しました。解散後、すぐ次の仕事を見つけるダンサーもいましたが、私はいったんリセットしたいと思っていたところ、ニューヨークに縁があり、日本と行き来するようになりました。
特に若い人に伝えたいことは?
「私がそうだったように、心の底から本当に感動したことに、人は導かれるのだと思うのです。野田秀樹さん、坂本龍一さん、トニー・リッツィー、ウィリアム・フォーサイスなど、憧れている人たちに出逢い、いっしょに仕事させてもらうことができて、とても幸運なダンサーだと思います。ただ受け身で待っているのではなく、その時が満ちるまで、自分を信じて磨き続けることかなあと思います」
改めて感じるフォーサイスの魅力とは?
「崇拝させない素晴らしさ、その一言に尽きます。神格化されるぐらいの現代アーティストなら、普通はもう少し偉そうになりそうなところ、全く偉ぶらない。彼はすごく素直で、子供のような好奇心と鋭い観察力を持ち合わせています。
彼と仕事をする時に大変なのは、常に変化を求められるところです。
『まだ見たことのないヨーコのダンスを見せてくれ』(I want to see what you don’t know.と自分のダンスと向き合う禅問答のようなクリエーションです。
フォーサイスからは『予定調和になるな』『安定をするな』というアドバイスをもらうたびに、毎回新鮮でいる難しさと大切さを学びました」
ほかにも、尊敬するダンサーや多くの素晴らしい舞台に出合った。
「師匠である木佐貫邦子。そして、ジョルジュ・ドンです。彼の『ボレロ』を神奈川県民ホールの前から3列目で観られたのはとても貴重な体験でした。あとは、ラララ・ヒューマンステップスのルイーズ・ルカバリエが大好きです。彼女は、まるで身体から言葉を発しているみたいで饒舌なダンサーです。ピュアでいながら激しい感性を持っていてる部分も憧れました。
バレエ公演以外にも色々舞台を観に行くのですが、なかでも文楽の『曽根崎心中』が忘れられないですね。文楽人形がまったくもって美しい。動きに無駄がない。人形と人形遣いが一体となるその佇まいに惚れ惚れしました。クライマックスの心中する場面で二体の人形が息絶えるんですが、人形遣いが人形から離れた直後、人形の身体がカクッ、カクッと2度動いたんです!全身鳥肌が立ちました。まさに舞台マジックの瞬間でした」
~2つのターニングポイント~
「2011年3月に起こった東日本大震災です。私はそのとき沖縄で仕事があったので、直接の揺れは経験していないんです。でも私の心身に大きな影響をもたらしました。現実に起こっていることが凄まじすぎて、精神的に踊れなくなって、ドイツに戻る気力も失っていました。ダンサーとしての自分の無力さに落ち込みました」
そんな安藤を救ってくれたのが、スパイラルで3月22日から急遽企画された『アートのちから』という震災支援イベントだった。
「私はそこで『失われた委曲』をアレンジしてソロを踊りました。その舞台で、なんとか自分を取り戻し、またドイツに帰ったことを覚えています」
それから数年後、また新たな変化が訪れる。
「『もう私は踊る理由にしがみつかなくていいんだ』と感じた瞬間があったんです。それまでは、いつも踊る理由があった。もっと踊れるようになりたいとか、この作品に出演したいとか。でもその理由が全部消える感覚があったのです。
それまでは、これでなダメだ!こうであるべきだけど全然できていない!など、自分を否定し追い込んでいくことで踊りと向き合う分量が多かったのですが、そういう理由から解放されたとき、身体が楽になり、より素直な自分に近づいたになった感覚があります」
さらに新たな境地を見いだしたところに、横浜に新しく設立されるDance Base Yokohamaのオープニング記念のプロジェクトへの参加の依頼があった。
Dance Base Yokohamaの最初のクリエイションとなるプロジェクトTRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」は、2020年5月8日(金)~10日(日)に横浜・馬車道のDance Base Yokohama(DaBY)にてトライアウト公演を行い、そして5月15日(金)~17日(日)に愛知県芸術劇場小ホールにて、安藤洋子・酒井はな・中村恩恵の新作がそれぞれ世界初演される予定だ。
「DaBYのアーティスティック・ディレクターの唐津絵理さんからお話をいただいたときは、私でいいんですか?と確認したぐらい(笑)、この3人の中に入れていただけるのは嬉しいことです。」
創作における音楽への取り組み方も聞いてみたい。
「音楽の選定については、あまり説明的な音楽の使い方はしたくないですね。音楽も踊りも説明的だと面白くないでしょう? 私は余白がないと苦しいと感じてしまいますので
風景が見えるような音楽が好きです。ダンサーが音に合わせるというよりは、ダンサーが音楽をどれだけ深く理解し、聴く力を持っているか。
その点、酒井はなさんや中村恩恵さんの音楽を聴く能力や理解力は素晴らしいと思います。良いダンサーかそうでないかは、耳の良さと音楽を理解する能力の差で違いが出ると思う。
キリアンも、フォーサイスも音楽をとてもとても深く理解しているのが分かります。私たちが気づいていない深い音を聴いているかが作品を見ると手に取るようにわかります。
そしてフォーサイスとキリアンは同じように聴覚が鋭いのですが、それぞれ音楽の捉え方が全く違う。その違いが振付と演出に影響しているのがとても興味深いです」
TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」の安藤の振付作品には小㞍健太、木ノ内乃々、山口泰侑が出演する。
「小㞍さんは経験豊富で一流の素晴らしいダンサーですので、今回ご一緒させてもらえてとても幸せです。そして、若手ダンサーのお二人もそれぞれ魅力的です。木ノ内さんはバレエ、山口さんはストリートダンスを専門に学んできたダンサーなので、今回のクリエーションは新しいチャレンジだと思います。私にとっても彼らは未知なる世代です。3人とも全く違ったクオリティを持っているので、どうしたら彼らの良さや新しい側面を引き出せるか、私にとっては刺激的な作業です!
私はこれからも、芸術やダンスを通して人と人を繋げることに取り組んでいきたいです。そのために自分を磨き続けていきたい」
●安藤洋子