DancerWeb
Vol.53

梅澤紘貴 Umezawa Hiroki
バレエダンサー
「新しい振付に出合うのが楽しみ」
5歳よりバレエを始め東京バレエ学校を経て、高校卒業後の2005年に東京バレエ団に入団、同年アロンソ振付『カルメン』で初デビュー。「ノーブルな雰囲気と爽やかでシャープな踊りが魅力」と評され、2015年にプリンシパルに昇格した。2016年からはフリーに転身し、様々な作品に出演しているダンサーの梅澤紘貴。
すっと伸びた背筋と柔らかい雰囲気の中に気品があり、プリンシパルとして踊ってきた風格を感じさせる。
『カブキ』を観て東京バレエ団への入団を決めたというが、バレエと部活のバスケットのどちらかを選択することになったとき、バレエを選んだという。
~何もないから頑張れた~
「純粋にバレエが好きでした。 振り覚えは、10代の頃は感覚で捉えていて、結構早かった気がするんですが、だんだん遅くなってきたかもしれない(笑)。運動することは昔から好きでしたね。普段の自分とは違う色々な役になり切れることが楽しい。最初は少し抵抗があったとしても演じることの面白さが増してくる。
東京バレエ団の『ドン・キホーテ』で、主演のバジルとガマーシュをダブルキャストで配役されたときは、連日入れ替わりでまったく違うキャラを踊るのは楽しかった」
そして意外な言葉に驚かされる。
「バレエ団に所属していたときに悩んでいたことは、僕には個性がない。自分には何もない。だからこそ頑張らなきゃいけない、そう思っていました」
謙虚なダンサーほど延びるとは彼のことをいうのだろう。
当バレエ団で、はじめて大きな役にキャスティングされたときのことも語ってくれた。
「いままでコールドだったのが、『くるみ割り人形』ではじめて大きな役をいただきました。仲間の団員から『ネコに配役されているよ』
と聞いて、『眠りの森』のネコかと思ったら、ベジャールの作品の猫のフェリックスで、最初は信じられませんでした。
とにかく必死でしたね。ダブルキャストだったで、練習時間も半分ずつの時間しかない。第2キャストだったので、第1の次のレッスンになるのですが半分のリハ時間のプレッシャーの中で、休みの日もバレエ団のスタジオに行き自習しました」
東京バレエ団では、見本となる先輩と素晴らしい指導者に恵まれた。
「『くるみ割り人形』のリハでは、フェリックスを踊った小林十市さんが、付きっきりで見てくれました。緊張もあったんですが、一対一で教えてくれる楽しさの方が大きかった。一つ一つの動きを丁寧に教えてくれました。
ベジャールの振付は全部意味があるんです。その振りを映像を観てコピーをしただけでは得られない、そこに込められた感情や細かい振りの意味を知ることはできない。振付への理解の深まることで表現の幅が違ってくると思います。フェリックスを演じるのがすごく楽しかった。
じつは実家で猫を7匹飼っているんですが、普段いっしょにいる猫に僕がなるっていうことも面白かったですね。
それ以降は、いつも以上に猫を見て研究するようになりました(笑)。
十市さんは、踊りはもちろん、非常にテクニシャンな方ですし、とても気さくな人柄で話も面白くて普段から楽しませてくれる。こういう人が真のエンターテイナーなんだろうなと学ぶことが多かった」
他の先輩の中にも、強く影響を受けたダンサーがいる。
「首藤康之さんです。普段からオーラがものすごく強い方なんですが、日々の練習のときから集中力がすごい。リハーサルなのに、本番なんじゃないかというぐらい役に入って演じられていて感動したことを覚えています」
~贅沢すぎる時間~
そして、2014年3月開催のベジャール振付の『春の祭典』では、はじめて「生贄」の大役に抜擢された。
「“生贄”の役は誰でもできるわけでないので、ある程度認められないとキャスティングされないのは分かっていたんですが、
その役を踊れるかどうか不安でした。踊れるかどうかジルさんがチェックするということで、リハとは別に時間を設けて見てもらいました。
テストのような感じです。もう力いっぱいやるしかなかったですね」
そして無事、主役の“生贄”役を獲得する。
「リハーサル中も、全力で踊っていました。床に転がったりする動きや振りもハードだったので、打撲したり突き指したり、青あざを
作ったりすることが多かったですが、そんなときジルさんが『そんなに強く身体を床に打ち付けなくていいよ。大丈夫?』など労わってくれました。
ものすごくやりがいのある役でした。達成感がすごくありましたし、とても思い入れのある作品です。
でも、その役を踊ったからといって、自信になったとかは特にないですね。自信があったことは一度もないです。
自分の中では、なんで自分なんだろう。自分にできるんだろうかと自問自答することが多かった。最初にソリストとして選ばれたことは嬉しかったのですが、だんだん定着するようになってからは、責任を持って踊らなければいけない。実力を伴わなければいけないですし、自覚してちゃんとソリストとして見せなければならないという覚悟ができました」
そして、このふたりの偉大なアーティストとの出会いも非常に貴重だった。
「その『春の祭典』のリハーサルのとき、マニュアル・ルグリさんとパトリック・ド・バナさんがちょうど、創作活動で来日されていたんですが、バナさんが僕のゲネプロを観ていて、『こうした方がいいよ』と色々アドバイスをしてくれたんです。
その舞台に全然関わっていないのに、親身になって教えてくれました。
本番も舞台袖で観てくれていて、僕が舞台からはけた直後に走ってきて『ファンタスティック!(素晴らしい)』声をかけくれて、すごく嬉しかった。まだ舞台は終わっていなかったんですけど(笑)。
『スプリング・アンド・フォール』のレッスンで、ルグリさんが直接指導してくださったことも忘れられないです。
そのときも、ルグリさんは指導する予定はなかったんですが、たまたまスタジオに立ち寄ったときに、僕がレッスンをしていたので、私服のまま汗だくになりながら、一つ一つ教えてくれました。ビデオで見ていた憧れのダンサーが直接教えてくれている。『なんて素晴らしい時間なんだろう』と感動でした。そのとき通訳さんはいなかったので、何を言っているのかはよく分からなかったのですが、人間性と身体で伝わりました」
~飽くなき追求~
2017年2月には遠藤康行の新作で『狂 -くるい-』に出演。酒井はなと共演する機会を得た。
「コンテンポラリーダンサーからしたら全然できていなかったと思いますが、楽しめました。はなさんとの共演は緊張しましたが、役に入ることができ演じやすかったです。
でも、コンテンポラリーはやはり難しいですね。バレエと全然動きが違う。バレエでは使わない筋肉がたくさんある。
最近コンテンポラリーダンスを踊る機会も増えてきたんですが、振付家によって、全然身体の使い方や手法が違うので、その舞台でその身体の使い方が馴染んだからといって、次の作品に使えるかというとそうでもなかったりします。
だからこそ、新しい振付に出合うのが楽しみでもあるんです」
「5歳のときからずっと毎日バレエと付き合っているので、踊りがない日常は考えられないですね。慢性的な痛みはありますが、大怪我もしたこともなく、一度も踊りから離れたことがないので、ダンサーで良かったと思うことは当たり前すぎて、思い浮かばない(笑)。ダンサー以外の職業は考えられないです。
毎回全力で挑む。舞台を観て感動してくださる人がいることが活力になっています。
何歳まで踊れるのか、踊っていられるのか、それが自分の挑戦だと思います」
〇公式URL
https://www.instagram.com/hi_roki_7/?hl=ja
〇梅澤紘貴・プロフィール
2005年チャイコフスキー記念東京バレエ団入団。主な役柄として、「ジゼル」のパ・ド・ユイット、子どものためのバレエ「ねむれる森の美女」のデジレ王子、モーリス・ベジャール振付「春の祭典」の生贄、2014年海外ツアーでは「ギリシャの踊り」のソロ、東京バレエ団創立50周年〈祝祭ガラ〉でノイマイヤー振付「スプリング・アンド・フォール」、同年9月、岩国公演にて「ドン・キホーテ」バジル、12月、ワイノーネン版「くるみ割り人形」の王子などを踊る。2015年プリンシパルに昇格、2016年4月に退団しフリーに転身。
