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井関佐和子
Iseki Sawako

DancersWeb
Vol.77 Dec 2021
舞踊家・Noism副芸術監督
「現在(いま)を全身全霊で、踊っていたい」
2004年に誕生した公共劇場専属舞踊団Noismの創設メンバーの舞踊家として、
副芸術監督の顔も持つ井関佐和子。舞台に立っているだけで放つ圧倒的存在感と、
研ぎ澄まされた空気感が漂う唯一無二のダンサー。
昨今では、2019年初演の『夏の名残のバラ』で「一人の女性としての生き方が屹立した傑作」と
高く評価され、第71回芸術選奨の舞踊部門・文部科学大臣賞を受賞。
12月より開幕するNoism0 / Noism1『境界』は、金森穣と山田うん2人の振付家によるダブルビル公演となる。
新作への思いとこれまでのバレエライフについて、真摯に語っていただいた。
― 「境界」で『Near Far Here』に出演されますが、リハーサルの状況は?
現段階では、まだまだ創作途中という感じですが、Noism0のメンバーとの創作は刺激的ですね。
何かはっきりとした目的地があるわけではないのに、確かに一緒の方向に向かい、
気がつけば何かが生まれている。
見えない何かに引き寄せられているような不思議な感覚になります。
もちろんいいことばかりではなく、お互い意思をはっきり持った舞踊家たちなので、
ときにぶつかりながらも(笑)、進んでいきます。
― 本作では、副芸術監督として創作部分で関わる部分はあるのでしょうか?
Noism0の作品に参加するときは副芸術監督としてではなく、一舞踊家として
スタジオにいるので、とても幸せです。
ですが、私も山田勇気も舞踊家としての責任は大きいです。
金森自身が舞踊家としても一緒に踊るわけですから。
与えられたトピックに対し、個々に考えなくてはいけないことも多いですし、
自らの舞踊に対し誰かに甘えることはできません。そのことを語り合わなくとも
共有できているということが皮膚感覚でわかります。
それが本作にもつながっているのかもしれません。
他者の人生(舞踊)に介入することではなく、他者とともに生きること(踊ること)
により、「私とは誰か」と問うている日々です。
― ダンスは3歳ではじめたとのことですが、16歳で渡欧されています。
海外のダンスカンパニーで踊った中で、もっとも印象に残っている舞台を教えてください
スウェーデンのクルベルグバレエで踊ったイリ・キリアンの『falling angels』で、
NDT2時代にはレパートリーにはなかった、NDT1のダンサーが踊っていた作品です。
クルベルグバレエ団入団当時、私は22歳になったばかりで、ほかのダンサーは
皆かなり年上ですでにこの作品を踊った経験がありました。
私は入団早々にその作品と向き合うことになり、音楽の繊細な部分まで一つひとつ学び、
稽古を重ねていざ本番に向かいましたが、緊張のあまりユニゾンで腕を上げるところで、
間違って脚を上げてしまい……。
終演後はずっと泣いていました。奇しくもその公演には、金森穣さんが観に来ていた
という忘れられない本番になりました。
― ターニングポイントとなった出演作品はなんでしょうか?
金森穣の『NINA』です。
体力も精神力も極限まで追い詰められ、それでも緊張感を維持し続け、
何公演も踊っているうちに、「これはこの作品だから苦しく、しんどいのではない。
本来舞踊家たるもの、この緊張感と集中力を一瞬も切らさず舞台で生きるべきなのだ」
ということを悟りました。
金森の代表作として、世界中をまわり、私自身本当にこの作品に育てられました。
― この作品の創作過程にも関わったそうですね。
ちょうど冬休みだったのですが、金森から「どうしてもスタジオで試したいことがあるから、
付き合ってくれ」と言われスタジオ入りしました。
そこでは作品を創るというよりも、ひたすら実験や研究を繰り返しました。
何時間も「歩き方」を研究し、どうすれば緊張感のある身体を維持し続けられるか、
一瞬の弛緩も許さずに舞台上に立ち続けることは可能なのか。
そのような模索を続けてできあがったソロが『NINA-prototype』です。
そしてこのソロで見出した身体性を基に翌年『NINA』という作品が発表されました。
この作品が完成する前年に金森が、当時SPAC―静岡県舞台芸術センターの芸術総監督を
されていた演劇界の巨匠・鈴木忠志さんにはじめてお会いしたのですが、新潟に戻ってきた
金森がその衝撃を興奮気味に語ったのを覚えています。
私はその場にいなかったので、その衝撃がどのようなものであったか知る由もなかったのですが、
今では鈴木さんは私がもっとも尊敬する方のおひとりであり、心の中にいつも存在しているとても
重要な方になりました。
― ダンスに出合って約40年、ダンスをやめたいと思ったことはありますか?
23歳のとき、はじめて舞踊から離れたいと思いました。
それまでヨーロッパで、すごい数の公演をこなし、踊りすぎていたのかもしれません。
燃え尽きた感がありましたし、ちょうど年齢的にも恋愛の方に喜びを感じ、少し舞踊から
離れて普通の生活をしてみたいと思いました。
「まだ若いんだから、これからもっと一緒に色々作品を創っていこう!」と当時の
カンパニーディレクターに言われましたが、それこそ若さゆえに頑なに「やめる!」と
言って辞めた……はずだったのですが、日本に帰国して3ヶ月後には舞台に立っていました(笑)。
私にとって踊ることは必然だったのです。
― 「ダンサーとしての美学」は、と問われたら?
美は細部に宿る。
― これまででもっとも励みになっている言葉、あるいは悔しかった言葉はありますか?
「気味の悪い女になったな。それでこそ芸術家だ。普通の女ではいけないぞ。観ている人の
脳裏に強烈な印象を残さなければダメだ。これからも頑張りなさい。」この言葉をいただき、
涙が出るほど嬉しかったです。
悔しい想いをした言葉は数え上げればキリがありません。しかし負けず嫌いの私は毎回
奮い立たされています。それがポジティブな言葉であっても、その裏を考えてしまう癖が
私にはあるかもしれません……。
― 踊ることへのモチベーションはどんなところにあると思われますか?
「生きたい」と思うことですね。
― 一番大切にしているものはなんですか?
「愛」。
― 今後、この作品を絶対に踊りたいという作品はありますか?
以前は「あの振付家のあの作品が踊りたい!」という欲望がたくさんありましたが、
年齢を重ねるごとに、新作のクリエーションに喜びを感じています。
まだ見ぬ未来を模索しながら組み立てていく過程に、自身をどう投じていくか、
それがこれからさらに年齢を重ねることで、どのよう変化していくかが楽しみです。
同時に今まで踊ってきた作品の再演はしていきたいですね。
時間を置いて、新たな気持ちで作品に挑むことで、今まで見えていなかった角度から
物事を見るとワクワクします。そして私のターニングポイントになった『NINA-prototype』は、
身体がまだ利くうちに、一度くらいは踊ってみたいですね。
何回も踊れる自信はありませんが……。
― 今後の野望をシェアしていただけますでしょうか?
遠い未来は見えていません。遠い夢も今は考えていません。
舞踊を通して、人々と出会い、共感し、分かち合い、いつの間にか与えられる存在になっていたら
本望です。だから現在(いま)を全身全霊で、踊っていたいです。
Noism0/Noism1『境界』
2021年12月17日(金)- 19日(日)りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場
2021年12月24日(金)- 26日(日)東京芸術劇場 プレイハウス
2022年1月10日(月・祝) 高知市文化プラザかるぽーと 大ホール
https://noism.jp/npe/boundary_tokyo/
【井関佐和子・プロフィール】
舞踊家。Noism副芸術監督。1978年高知県生まれ。3歳よりクラシックバレエを一の宮咲子に師事。16歳で渡欧。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を経て、ルードラ・ベジャール・ローザンヌにてモーリス・ベジャールら
に師事。’98年ネザーランド・ダンス・シアターⅡ(オランダ)に入団、イリ・キリアン、オハッド・ナハリン、ポール・ライトフット等の作品を踊る。’01年クルベルグ・バレエ(スウェーデン)に移籍、マッツ・エック、
ヨハン・インガー等の作品を踊る。’04年4月Noism結成メンバーとなり、金森穣作品においては常に主要な
パートを務め、現在日本を代表する舞踊家のひとりとして、各方面から高い評価と注目を集めている。
’08年よりバレエミストレス、’10年よりNoism副芸術監督も務める。第38回ニムラ舞踊賞、令和2年度(第71回)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

