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​DancersWeb
Vol.56

ダンサー・振付家/Co.山田うん

「失うものがないので不安もない」

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 年少の頃から体操教室に通う運動神経万能な女の子だったが、中学生のとき周囲の勧めもありバレエ教室に通うことになったのが、ダンスとの出合いだった。しかし、ダンスを職業として考えたことはまったくなかったという、ダンスカンパニー「Co.山田うん」の主宰者・山田うんに、これまでのダンサーライフについてじっくり伺った。

 

 大学卒業後は金融関係の会社に勤めていたのが、突如退職願いを出し、直感でニューヨークへダンス留学に飛び立つ。

「不安はなかったですね。積み上げてきたものは何もなかったので。ダンサーとして生きていけるとかも考えたこともなかったです。私ごとき人が人様に踊りを見せて食べていけるとは思っていなかった。普通のOLがダンサーになったんだから、これからも、きっとできないことはない。やったことがないから不安がない。あるいは、分かっていないから不安がないんだと思います」

 

 この強靱な精神力は、山田うんの父親の教育法が多少なりとも影響しているのかもしれない。

「家族で海水浴場に行くと、まだ幼い私に『見えないところまで泳いで行ってこーい!』という父だったんですよ。アクロバットも教えてくれたのも父でしたし、怖がる前に経験させるという教育方針だったんだと思います。両親には感謝しています。

子供のころの夢は、漠然と何か作りたい。それを売りたいという思いがありました。それが野菜なのか、小説なのか何なのかわからなかったんですが、たまたま運動することと頭を使うことに、ダンスと振付がマッチングしたんだと思います」

 

 育ち方もユニークながら「うん」という名前もオリジナリティがある。

「中学生のころ、『うん』しか言わなかったんです。誰でもふてぶてしい時期ってありますよね(笑)。もともと不器用で人見知りだったこともありますが、コミュニケーションを取ることがなんとなく面倒になってしまって、同世代の友達もあまりいない。

バレエ教室のお稽古場でも『うん』しか言わなかったので、そのうち「うんちゃん」とみんなに言われ始めて、だんだん定着していきました。

でも、「うん」というひらがな表記も気に入っているんです。形が斜めから入って弾んでいる。ダンスっぽいし、踊っている感じでしょ?それに男性でも女性でもない。それで『うん』になりました」

 

 山田うんとして1996年から振付家としても始動し、その4年後の2000年に横浜ダンスコレクション「若手振付家のための在日フランス大使館賞」を受賞。

「とても意外でした。自分では、特別素敵な作品だと思っていなかったですし、それまでやってきたことは何一つ評価されたことがなかったのに、なぜかこれが評価されたの?という不思議な気持ちでした」

 

 そして同年、ダンス留学生としてフランスに招待され、1年後にはフランスのカンパニーから誘われる。

「当時は、私のようなスタイルのソロ・ダンサーがいなかったからだと思います。舞踏のようなテクニックでありながらの早い動き。バレエのスキルをベースにしつつもそれを見せる手法ではない。その一方で、計算された音楽の作り方を見せるようにしていたので、よく分からない東洋的な身体表現が受け入れられたんだと思います。日本で活動したいと思ったのは、日本の文化を自国に戻って日本語で勉強したかった思いがありました」

 

 帰国後の2002年、自身のダンスカンパニー「Co.山田うん」を設立する。

「ターニングポイントとなった舞台は『春の祭典』です。それまでは、小規模の劇場での上演が多かったんですが、2階席のある1000人以上のホールではじめてでした。

大きなホールであダイナミズムが重要となりますが、同時に繊細さも要求される。それまでは、『得意なことをやってね』という方向性だったのが、ダンサーを育成しなくてはいけないことに直面したので、私もダンサー自身も大きな成長になったと思います」

 

 自身が出演した中でもっとも印象に残る舞台は?

「2012年に上演した『季節のない街』です。振付が決まっている場面と即興シーンが共存している作品です。私はだいたいソロかデュオでの出演が多いのですが、大勢のダンサーと出演している唯一の舞台なのです。本番中にダンサー同士で取っ組み合いのケンカをするという演出で、リハーサル中から本気で体当たりをする真剣勝負でした」

怪我も伴う危険な挑戦とも思えるが、その狙いは?

「『こういう状態であなたはどうする?』といった無理難題を与えたときに生み出される踊りは、その人唯一の素晴らしい踊りだったりします。すべてのダンサーが与えた振付を上手にできるわけでない。では、どうすれば伸び伸び動けるか?ダンサーそれぞれから色々なものを引き出したいという思いがあります」

 

 創作への情熱と原動力については?

「私自身は欲張りで知的好奇心ですが、創作はいつも私一人で創っている気がしないんです。頭も身体の中でも私の中でいつもたくさんの人がいて話し合いをしている感じです。

以前からそうなんですが、可笑しな人ですよね(笑)。まるで誰かにやりなさいと言われているような……振りを決めるときも、私の欲求というよりは、こうした方がいいよね。という話し合いの中で私がまとめ役として決めているような感覚です(笑)」

 

 自身をダンサー・振付家としてどう見ているのだろうか。

「ダンサーとしては、暴れん坊なところがあると思います(笑)。振付家としては、無いものを創りたい。見たことがないものを見たいという思いが強いですね。

でもそれは、わー!素晴らしい!という感動を与えてくれるダンサーがいるからこそです。私以外のダンサーはみんな素晴らしいと感じますし、私はハズレ者だと思っています

特にダンサーでは、ピナ・ヴァウシュが好きです。一つの振りに色々な感情が散りばめられていて、シンプルな動きの中にたくさんのディテールがあります」

 

 2020年1月10日から、新作『NIPPON・CHA!CHA!CHA!』の公演がスタートする。

「本作の誕生は、如月小春の傑作戯曲「NIPPON・CHA!CHA!CHA!」を勧められたことがきっかけです。これも私の中で話し合いをしまして(笑)、演劇とダンスの二本立てでやらせていただいと提案させてもらいました。

 

 昭和(1964年)に開催されたオリンピックを題材にした作品ですが、戯曲を読んで、どこもカットすべきでないと思い、演劇版はほぼ原作通りに進めます。ダンスの方は戯曲の雰囲気を保ちながら、現代に置き換えて創作します」

 

 本作では役者デビューも果たす。

「演劇版では私はバーのママ役として出演しますが、じつは歌も歌います!

ほかのダンサーたちも歌を披露するのははじめてですが、一度聴いたら忘れられない懐かしい音楽に仕上がっています。戯曲に歌詞がたくさんあるので、音楽家のヲノサトルさんにメロディーをつけてもらいました。演劇とダンス版でアイディアが被らないように180度振り幅がある作品にしたいと思います」

 

 同じテーマで、演劇とダンス版の二本立ては非常に斬新だ。

「演劇人口の方がダンスファンより多いといわれていますよね。それならこちらから近寄ってみよう!という狙いも入っております(笑)。

演劇ファンからすると、ダンスは分かりにくい部分もあると思いますが、楽しいジャンルのダンスを創りたい。OLがダンサーになれたので、振付家が創る演劇がたぶんあってもいい(笑)」

 

 今後やりたいことは?

「もっと踊りがマシになりたいですね(笑)。ダンスが若い人だけのものではなく、ダンサーが長く踊れる世界も創ってゆきたいですし、クリエイターとしては、振付家・演出家としてもっと成長したい。

 具体的にはオペラの演出もしてみたいですね。ダンス以外では現在エッセイを連載しているのですが、物語も書いてみたいですし、やりたいことがいっぱいあるので200歳ぐらいまで生きないと足りないぐらい(笑い)。

 私のカンパニーに昨年6人の新メンバーが加わったので、日本人としてのメンタルと身体を育ててゆきたい。惰性で動くことはせず常に問い続ける、常に新しく考え直す。

 

 そういう姿勢をダンサーたちにも植え付けたい。『鉄を以て磨かれる』という言葉があるように、人は友によって磨かれると思いますので、ともに切磋琢磨してゆきながら、カンパニーを育ててゆきたいと思っています」

●山田うん 公式URL

https://www.unyamada-co.com/

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