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DancersWeb Vol.70 May 2021


スズキ拓朗  Suzuki Takurou

「限界を突破すること。
命を削って動いている人は美しいです」
CHAiroiPLINカンパニー主宰/
コンドルズ所属
スズキ.jpg

 まず、スズキ拓朗の多彩さに驚かされる。俳優・演出家・振付家・ダンサー・大学の講師と、じつに多彩だ。6月にはコンドルズの最新作『Free as a Bird』の出演が待っている。マルチなアーティストとして、コンドルズのメンバーとして、スズキ拓朗の素顔に迫りたい。。

 

― 大学では、具体的にどのような講義をされているのでしょう?

 「まさになんでもやりなさい!どんなことにでも興味を持つようアンテナを張りましょう!」と言い続けています。僕は、ダンスだけ演劇だけを教える授業はやりません。散歩したり、おしゃべりしたり、友達をつくったり、喧嘩したり、ご飯を食べたりも大事なこと。総じて表現者として舞台に立つために必要な身体を作る授業をしています。

 まず、自分は何者でもなく、何も知らないと言うことを知り、なんでも吸収できる感受性を養うのが1年生。スポンジ状態の感受性を楽しめるようになってから、やっと2年生になって即興を通しながら自分を知る(人間を知る)授業へと移ります。台詞を言ったり、自分ではない者を演じたり踊ったりするのは3年生になってから。表現者のスタートは自分を楽しむ心を養うことです。

 

 

―「さいたまネクスト・シアター」の第一期生として所属、2009年にさいたまネクスト・シアターの第一回公演に出演されています。蜷川幸雄さんから一番影響を受けていると思われる点はどんなところですか?

 

 何かが飛んできても避けることのできる瞬発力でしょうか。…冗談です(笑)。

それこそやはり自分がなんの才能もない、何も知らない存在だと言うことを教えてくれたのは蜷川さんです。何かを開拓していくには努力と勉強。0を知らない人間は1を踏み出すことはできないと教えてくれました。

 行動する理由や動く理由を考えるな!まずは動け!と教えてくれたのも蜷川さんです。

『おーい、救けてくれ』という戯曲。ウィリアム・サローヤンの作品を抜粋で稽古しているときでした。牢屋にいる男性が格子越しに少女に話しかけるのですが、「突っ立って台詞言うな!ターンとかジャンプしてから言え!」こうして僕は舞台でのターンを覚えたのでした。またまた冗談はさておき(笑)。

ダンサー・振付家として活動する今の僕ならその本当の意味がわかる気がします。舞台における説得力のある身体の使い方。ダンサー・振付家への可能性を見出してくれたのは蜷川さんだったのかもしれません。

 

― 舞踊家としての受賞歴も多いですが、コンテストでもっとも印象に残っているエピソードはありますか?

 

 「ネクストリーム21」というダンスコンテストにはじめて参加したときに、審査員の方に「リベルタンゴの曲はそのイメージがありすぎてねぇ…。それ以上の何かを出すのは難しいよねぇ。選曲は考えたほうがいいよ」と、言われて悔しかったですね。使いたい曲だったので。想いが強かったのに!何故使っちゃダメなの!?と、思ったのを覚えています。

 しかし今となってはもう本当にその通りだと思います(笑)。その反動なのか、「トヨタコレオグラフィーアワード」では音楽を一切使用せず、声で音楽を奏でながら踊るオリジナリティーを発掘できたのは事実です。悔しい想いは必要で、それにどれだけ抗えるかどうかでオリジナリティーが生まれるのかもしれません。

 

 

 

― コンテンポラリーダンスに魅了されたきっかけは?

 

 大学時代に、学内で劇団メンバーを集めて発表する場がありまして、やはり野田秀樹さんのように身体をフルに活用した演劇が流行っていたので、単純発想ですが、僕らも身体に意識の高い作品作りをしよう!となったわけですが、劇団内に動ける人が一人もおらず、運動神経にはそこそこ自信のある僕がダンス担当にならざるを得なくなったのが、そもそものきっかけです。

 演劇における身体を調べるうちに出逢ったのが、やはりピナ・バウシュでした。『カフェ・ミュラー』をDVDで見た時に「これはいったい…なんだ?」と、魅了されている自分がいたのを覚えています。とにかくスーツとワンピースを準備しなきゃ!と買い物に出かけましたねぇ(笑)。

 

― その後、どのようにコンテンポラリーダンスのベースを築いたのでしょうか?

 

 たとえば、彩の国さいたま芸術劇場に訪れる海外のダンスカンパニーの公演を観に行ったり、ひたすら観劇の日々が続きました。フィリップ・ドゥクフレや、ダンスカンパニー「ローザス」などのビデオも何度も見直しました。そんな刺激のトランス状態の中、ふと自分でもやってみたいことを形(振付や作品)にしていったのが純粋なベースです。

そしてセッションハウスのダンスワークショップに入り浸るようになり、特にピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団のダンサーであったジャン・サスポータス氏による創作発表は楽しかったです。振付の発想や共同創作の考え方は、いまでも僕の身体のベースになっています。

 

 

― ご自身とって”踊る”とは? ダンスのモチベーションはどんなところにありますか?

 

「ダンスはやっぱりユニゾンがいいね。」

この間亡くなった僕の友人の言葉です。何を踊るか?ではなく、何と共に踊るのか?が、僕にとっては重要です。揃っていることや、綺麗に踊ることや、かっこよく踊ることではなくて、何かと一緒に踊ること。心通わせるユニゾン。それが楽しいし、友人にも届いてほしい想いでもありモチベーションになってます。

 

― 2015年には東アジア文化交流使として韓国にも滞在していますが、もっとも印象に残っている出来事といえば?

 

 韓国の俳優の方は、台詞だけでなく踊れるのです。逆にダンサーの方も踊りだけでなく、台詞も言えるのです。それが当たり前の世界でした。俳優育成のシステムもありますが、もっと根本的に個々人が大事にしているものや生活が、精神と身体に宿っているなぁと感じました。

僕はこの交流期間でキムチが本当に好きになってしまったのですが、韓国で出会った人達が共通して言う言葉が「我が家のキムチが世界一美味しい!」です(笑)。自信の源が国、文化、生活、家族などと密接にあるからこそ、土台にブレのないプレイができるのかもしれないなぁと強く感じました。

 

 

― 振付・演出面でこだわりがある点はありますか?

 

 NOと言わない事ですね。勿論ある程度決定権のある役職なので、選んでいかなければいけません。振付も演出も最終的には決めないとみんなが迷ってしまうので。しかし創作や舞台には正解がないのが事実です。1+1が2だと言うことを観たいわけではありません。

 自分の中には無い、はじめての感覚に出逢いたいので、稽古場で出るすべての意見やアイデアをまずは聞きたいです。たとえば、振付通りに踊れないスキル不足なダンサーがいたとしても、実はその動きのほうが面白ければ、僕はその失敗(アイデア)を取り入れたいので、なんの抵抗もなく振付を変えます。

面白いと評判の舞台も、面白くないと評判の舞台の両方を観に行きます。だってそれは、もしかしたら僕にとっては面白くないかもしれないし、面白いかもしれないから。可能性をただただ狭くするNOという言葉ではなく、気持ちよく動けるYESと共に仕事したいですね。

 

 

― ダンサーとして、また、振付家としての美学とは?

 

 限界を突破すること。命を削って動いている人は美しいです。

心臓は筋肉。産まれてから死ぬまでの心拍数は決まっていると言われています。それを早めれば、その分死に向かってコンニチハと言うわけです。勿論ただ疲れればいいということでもないです。

桜が散るのは美しい。太陽が沈むのは美しい。無くなっていくもの、儚いものが美しいのだと思います。「あっ」と発するだけでも、手を右から左へ動かすだけでも、そこに肉体的なのか精神的なのか、なんにせよ「限界」が常に存在することが僕の美学です。

そこに生まれた表現は、その瞬間に消えてほしいです。観た人の心にだけ残ってほしいです。

 

 

― 振付家・演出家として“独創的”と評されることも多いと思いますが、どのような点が評価されていると思われますか?

 

 ポケモンでいうと僕は「ギーモン」だからですかね。

「横浜ダンスコレクション」で白菜とリンゴを食べながら踊ったソロがありまして、その作品で色々な国に行かせてもらいました。僕はこの白菜を白菜と思えていません。リンゴをリンゴとして認識して食べてません。

 明確に言葉にするには難しいのですが、たとえば、水はなぜ冷たくも温かくもなるのか? 人間の心はなぜ冷たくも温かくもなるのか? 答えられる人はたぶんいないと思ってます。あらゆることに「ナンデ?」と思いはじめたら切りがありません。そうなったらもうあなたは「ギーモン」です。

人はきっと、分かることよりも分からないことの方が圧倒的に多いんです。だから悩んでいます。なんならたぶん何も分かっていないかもしれません。疑問が生まれれば作品は創れます。なので僕はずっとずっと作品を創れます。

 

 

― これまでを振り返って、ダンサー・演出家として挫折感を味わったことはありますか?

 

 思い返してみると、ダンサー・演出家として挫折したことはまだありません。

でも劇団四季のアクション枠オーディションで、僕はロンダードバク転バク宙をするための準備体操していたのですが、周囲を見渡したら準備体操がロンダードバク転バク宙だったのを見て、アクション俳優になることを諦めたことはあります(笑)。あれは笑うしかなかった。

 高校生のときにバスケットボールをしていましたが、怪我で最後の試合に出れず、バスケ選手になる夢を諦めるという挫折を味わった覚えはあります。その怪我の影響はちゃんと今の身体にも残っています。 だからこそ今はあんな動きもこんな動きもそんな動きになるんだなと思ってます。他の人にはないマイナスポイントもプラスに変わる瞬間はあります。

 

― これまでで、もっとも印象に残っている出演舞台はなんでしょうか?

 

 フィリップ・ジャンティ『バニッシングポイント』(2004年)です!衝撃でした。頭の中の世界が勝手に具現化されていくようでした。日常のさりげない素材が魔法のように変化し表現に変わっていく時間は気持ちがよかったです。

 現象こそが体験であり、それさえあれば演者は自然とそこに立つことができる。そんなことを思った俳優修行を始めたばかりの僕でした。フィリップ・ジャンティが日本にいなくてよかったです。もし日本のカンパニーであったなら、僕は自分のカンパニーを立ち上げていません。

 それほどに魅力的でした。「何が面白かったの?」と、聞かれても「うーん。わからない。面白かった」としか答えられない。これが一番好きなのです。

 

― 2007年にCHAiroiPLINカンパニーを設立し、その4年後にコンドルズメンバーに加わっていますが、きっかけは何でしょう?

 

 踊れない振付家にはなりたくなかったので、自分のカンパニーを立ち上げても、常にダンサーとしての仕事はやり続けたいと思っていました。今ももちろんそうです。

きっかけのきっかけは、結婚すると決めていた女性にフラれて貯めたお金の行き場の無さに怒りを感じ、「ワークショップ・高い」で検索した結果、コンドルズの京都合宿ワークショップに出逢いました。

その後のきっかけは、近藤良平さんが振付するセッションハウスのダンス企画(2010年『立体絵本』~麗しき山羊~)に出演させてもらい、その流れで2011年の夏に東京グローブ座にて『グランドスラム』に出演、それと同時にコンドルズへの入団が決まりました。

 僕がこのカンパニーと共に時間を過ごしたいと思ったのは、団体として魅力があったからです。長く続ける秘訣を内側から感じたかったし、自分のカンパニーもそんな団体にしたかったからです。結果、秘訣はいまでもわかってません(笑)。ただただ飽きることのないメンバーたちと言うことは確かです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

― この4月から近藤良平さんが彩の国さいたま劇場次期芸術監督に就任されましたが、芸術監督として期待することは?

 

 いままで通りです!良平さんの好きなことをやってほしいです!

もともと良平さんは人を集めることも、音楽を奏でることも、動物と戯れることも好きな方なので、総合的にさいたまを盛り上げていく力に溢れています。

特にコンテンポラリー界にとって、良平さんが彩の国さいたまの芸術監督になることは大きすぎる出来事です。暗く狭いイメージのあるコンテンポラリーダンスが広く明るくなります。良平さんのやることが次の世代のコンテンポラリーダンスを元気付け、新しい才能に刺激を与え、コンテンポラリーダンスを好きになる人が増えることを期待します!蜷川さんが演劇界に残した贈りものが、まさにそんなことであると思います。

 

― コンドルズでも振付補佐をされていますが、どのような点を一番大事にしていますか?

ご自身の役割をどのように捉えていますか?

 

 コンドルズの一番良いところは、すべてのメンバーの意見が通るところ。

そして圧倒的な個性で成り立っているところです。まるで猛獣しかいない動物園です(笑)。それをまとめる良平さんはさぞかし大変なことと思います。なので、僕のコンドルズでの主な役割はなるべく意見を言わず、ここぞと言うところで「それがめちゃくちゃ面白いと思います!」と発言することに目標を立てています!そのチャンスは一瞬なので(笑)。

 振付のアイデアを出したり、形としてすぐに具現化することのほうが専門職ですが、一番注意することは「全員が踊れる振付である」ことです(笑)。鼻の長い象、立髪がかっこいいライオン、脚がたくましい馬、全ての猛獣がかっこよく揃う振付を考えるのは至難の技です。

 

― コンドルズから受けたもっとも大きい影響は?

 

 灰汁影響(あくえいきょう)です!ちゃんと説明します(笑)。

舞台上においても、芸術全般においても、灰汁の強さがものを言います。表現に遠慮はいらない。コミュニケーションに遠慮はいらない。作品に遠慮はいらない。尊敬と敬意と信頼さえあれば何も遠慮はいらないのです。

 舞台の大きさや音楽の大きさでも、そこに立つパフォーマーの表現方法は変わります。時と場合に合わせて貫く表現の強度は変化していきます。日本全国、世界をも相手にするコンドルズの表現は、小さいことで悩まず、ドーンと大きくいこう!と言わんばかりです。小さくまとまらず大きく構える。

そんな中でちっぽけな自分の立ち方は?色は?存在は?その答えを今でも求められます。灰汁の強い表現の成長を日々感じとります。

 

― 今だから言えるコンドルズの舞台裏秘話と、もっとも好きなシーンは?

 

・良平さんが僕のワイシャツを着て出てしまいました

・良平さんが僕の靴を履いて出てしまいました

・良平さんがクイズのシーンで先に答えを言ってしまいました

・良平さんが人形劇のシーンを創るのですが、再演のときに、その人形は良平さんのペットである犬に噛まれていたらしく、なんだか表情が変わってしまいがちなのでした

・脱げる学ランの仕掛けをし終えた僕に、良平さんが舞台袖でぶつかってきたおかげで学ランが脱げ、

僕は裸で舞台に出る羽目になり、オチのないよくわからないシーンになりました”

 

・好きなシーンは、良平さんのソロです

舞台袖ではうるさいメンバーも、この時間だけは静かに見守ります。僕はこの時間が一番好きです。これは素敵な“舞台裏秘話”。

 

― 近藤良平さんはスズキさんにとってどのような存在ですか?

 

 目指すべき存在です。良平さんは小さな夢も、大きな夢も見せてくれます。

それでいて無理はせず、無理はさせず、皆がベストで楽しめる環境を作ってくれます。まさに名前の通り、どんなに荒れた土地でも良い平らの場に変えてくれます。その場は僕にとってはやはり舞台です。

与えてくれたその場所と時間をめいいっぱい楽しみたいと思います。

 そして50歳をすぎてもまだ、尚チームの中心で踊り続け、自らのソロで作品をおさめる姿はかっこいいです。僕も踊り続ける夢を抱けます。創作者としても、リーダーとしても、ダンサーとしても目指すべき存在です。これは内緒ですが、超えて行かなければならない存在とも思っています(笑)!

 

 

― 6月のコンドルズ埼玉公演『Free as Bird』出演への思いをお聞かせください。

 

 やはり去年「生の公演」が出来なかったので、劇場にてお客様との緊張感の中、本番をむかえることができるのがとても嬉しいです!安心して劇場にお客様が足を運んでいただくためにも、日々の稽古においての健康状態はベストを保ちたいと思っております!

 彩の国さいたま芸術劇場でのコンドルズは、普段とは少し違った色のある作品創りとなります。

コンセプトや舞台セットが物理的にも演出的にも広がりと奥行きを持っています。今回のタイトルから想像するに、まぁ間違いなくいつもよりも高く飛ばなければいけないかと思います(笑)。

良平さんはフライングでしょうか? 夢が広がります。単純に高くジャンプするダンスというよりは、コンテンポラリー界、そしてコンドルズとしてこの世の中の状況を、どのように自由に羽ばたくことができるのかを問う作品になるかと思います。

コンドルズの飛躍は止めることはできません。想像力という自由な翼をお客様にプレゼントします!

 

―「CHAiroiPLIN(チャイロイプリン)」カンパニーの目指すものは何でしょう?

 

 いま個人的に最近興味のあるのは映画監督ですが(笑)、チャイロイプリンの目指す芸術は、昔も今も変わらず、老若男女どんな方でも楽しめるコンテンポラリーダンス作品を創り続けることです。

カンパニーという団体は少なくなってきているかと思いますが、僕たちはチームで高みへと登っていきたいと思っています。

 一人の問題よりも、一人ひとりの問題を共に乗り越えていく事の方が難しいです。具体的な目標はやはり全国進出と海外進出ですが、本当の意味での大きな目標はこのチームで「やり続けること」です。

新しい人とももちろんものすごく出逢いたいですが、同等に、いままでやってきたメンバーとも新鮮に作品を創り続けたいのです。続ける強さを作品に打ち出していきたいです。

挑戦と発見を繰り返し、常に新しいものに触れる意識を持ち続けていきたいと思ってます。

【スズキ拓朗プロフィール】
蜷川幸雄学長の桐朋学園芸術短期大学演劇専攻で演劇やパントマイム、ダンスを学ぶ。

2007年「CHAiroiPLIN(チャイロイプリン)」カンパニー設立。2011年からコンドルズ所属。

トヨタコレオグラフィーアワードファイナリスト、第46回舞踊批評家協会新人賞。

第9回日本ダンスフォーラム賞、演出家コンクール最優秀賞、杉並演劇祭優秀賞、
第三回世田谷区芸術ア ワード飛翔舞台芸術部門第1位受賞。
平成27年度 東アジア文化交流使にも選出。
多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科非常勤講師、国際文化学園非常勤講師。
http://www.chairoiplin.net/index.html
 

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