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小林 十市

Kobayashi Juichi

「“脱・ベジャール”を目指します」

十市さん顔写真.png

​DancersWeb 
Vol.74  Sep 2021

​ダンサー・振付家

24歳の若さですでに、巨匠モーリス・ベジャールの振付アシスタントとしての地位を確⽴していた

元モーリス・ベジャール・バレエ団(BBL)のダンサー、⼩林⼗市。

BBLの中⼼的ダンサーとして活躍していたが、腰椎椎間板変性症のため34歳で惜しくも退団。

その後、35歳から演劇の世界に身を置くが、踊りへの想いが断ち切れず、再びダンスの世界に戻ってきた。

 

―近藤良平さんからのオファーで、2015年に「近藤良平のモダン・タイムス」に出演されましたが、久々の

舞台はいかがでしたか?

 

⼼底楽しかったです。こんな公演もありなんだ!と衝撃的でした。

良平さんの構成の組み⽴て⽅も新鮮で、創作過程も楽しかったですね。

まず、構成を考えるのに100パターンぐらい創るんですよ。本番ではそこから半分くらい しか採⽤しない。

良いアイディアだなと思うのも使わなかったりして、もったいないぐらい。40⼈ぐらい出演者がいるんですが、

僕にはソロパートを創作してくれたり、気を遣ってくれているのかなと思いました。

 

 

―2021年7⽉に、5年間続いたフランスのオランジュ・バレエ・スクールを閉講されましたが、ス タジオに丁寧

に挨拶してからの”別れのピルエット”の動画が印象的でした。

 

SNSはパフォーマンスの場だとも思っているで⼤袈裟に演出する時もあったりします (笑)。

2016年にオランジュ・バレエ・スクールを開講して以降、2020年3⽉にコロナウィルス拡⼤によるロックダウンがあり、初めてのオンラインでどこまでレッスンができるのか。どのように継続していくかの問題に直⾯しました。

今回、スタジオを閉めるにあたりやはり寂しい思いはありますが、⼈⽣での分岐点のような感じだと思います。

 

 

―「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」のディレクターの就任と出演のニュース に多くのファンは

歓喜したと思います。

 

Dance Dance Dance @ YOKOAHAMのディレクターのお話をいただいた時、コロナ禍という状況において、

海外招聘は難しいというところから、プログラムの輪郭がみてきて、そこで今回は、日本のダンサー、

カンパニー、もちろん市民の方も含め、共にフェスティバルを作ろうと考えました。

そこでまず企画したものが自身の身体に向き合う「エリア50代」でした。

僕は「エリア50代」をテーマに踊る『One to One』というソロで出演します。フランスの振付家アブー・

ラグラさんに依頼しました。最初の振付のオファーの時に僕の腰の状態について話したところ、テーブルを

使った振付を考えてくれました。そこに身を委ねたり脱⼒して腰に負担がかからないようにと気を遣って

くれました。そのテーブルを⽤いたことで、アブーさん自身も新たなインスピレーションが沸いたと

⾔っていました。

ソロは2021年5⽉に本格的に創作され、7⽉に1⽇だけ公開リハーサルの形式で約80⼈の前で2回に分けて

踊りました。お客様は、僕の身体表現というフィルターを通して⾃身のストーリーを通して観ている。

観た⼈それぞれが⾃分自身を振り返り内観しているんです。そういう⾃⼰投影の機会になっているのかも

しれない、という発見がありました。僕はこのソロでこれまでの経験が舞台でどう滲みでてくるのか

ひとつ一つ丁寧に味わいたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―「エリア50代」はほかに、近藤良平さん、安藤洋⼦さん、伊藤キムさん、平⼭素⼦さん、

そしてTRFのSAMさんがソロで踊りますね。

 

⾃分以外の振付家に創作してもらうのがコンセプトなんですが、本作では、50代の⾁体を持って

「⾃身とどのように向かい合うのか」「なにをどう表現できるのか」を追求します。

 

 

―10⽉には『Noism Company Niigata × ⼩林⼗市』で、⾦森穣さんと初共演で出演されます。

 

フェスティバルのプログラムの構築にあたり、自分のバックグラウンドや横浜と新潟のつながり

(東アジア文化都市)があることから、Noism Company Niigataとの作品がクロージングにふさわしいと考え、 金森穣君に相談したところ、快諾をいただきました。

この前、穣くんから、僕が踊るパートの動画が送られてきたんですが、「これをやるの!?」 と焦りの感情が

先にきました(笑)。

⾦森くんはとにかく身体能⼒が抜群で、⾃分のツアー先で彼の公演を観に⾏く機会もありました。

穣くんがNDT在籍中やリヨンにいたときも彼の舞台を観ています。

もちろん僕にとっては後輩な訳ですが、優れた舞踊家、演出家、振付家である彼と仕事ができるのは本当に

嬉しいことです。 この舞台の稽古はこれからになりますが、はじめていっしょに舞台に⽴つのが楽しみです。

 

 

―今後はダンサーの活動が主になるのでしょうか?

 

これまではバレエ・スクールがあったので、夏休み中の7,8⽉しか空いている時間がなかったし、

その期間中にうまく舞台出演の話もなかった。

でもバレエ・スクールも閉めてフリーとなった今、もし可能ならば今後は⾃分がやりたことを優先させたい

ですね。

振付に興味がないわけではないですが、僕は振付家のタイプではないと思う。

なので、やはり舞台表現者として舞台に⽴ち続けたい思いはあります。

 

 

―演劇の世界ではセリフ覚えが早かったとお話されていましたが、振付の覚えも早い⽅でしょうか?

そうだと思います。近藤良平さんの「モダン・タイムス」でもアンサンブルのグループが何 組かあって

何パターンかそれぞれ違う振りを踊るんですが、僕は1回⾒ただけでほぼすべての振りが頭に⼊りました。

集中してかなり気合いが⼊っていたこともあるかもしれないですが(笑)。

 

 

―それは特殊能⼒だと思います!その能⼒の⾼さもベジャールさんはご覧になっていたと思いますが、

特にどんな点が評価されていたと思われますか?

 

おそらく、ベジャールさんが望んでいる動きを即刻体現できたからだと思います。

「理屈で伝えるよりも、⾒せて伝える」ということを僕は重要視していました。

現役中の14年間で2回ベジャールさんに「ジュウイチは僕のスタイルを熟知しているね」⾔われたことが

あります。

⼀つは『ボヤージュ・ノクターン』という作品のソロパートを振り付けて貰っている最中に、そして、

もう⼀つは僕が「中国の不思議な役⼈」という作品の男性の群舞を教えているときにベジャールさんが稽古を

覗きに来て同様の⾔葉をかけてくれました。認めてもらえた!という思いで、⿃肌が⽴ったのを覚えています。

 

ベジャールさんはもちろんですが、ジョルジュ・ドンさんの終盤の頃に⼀緒に活動できたり、昔からのファンで

あるミハイル・バリシニコフさんとは、SAB(スクール・オブ・アメリ カン・バレエ)へ留学中に、同じクラスでレッスンをした経験もあります。「うわ!ナマ (⽣)・バリシニコフ!」と感激しました。

現在、BBLの芸術監督であるジル・ロマンとは多くの舞台で共演させてもらえて、

振り返ると僕は時代に恵まれ、すごくラッキーだったと思います。贅沢な時間を過ごして来ました。

 

 

―ジル・ロマンさんはどういう存在ですか?

 

今でも会うとなぜか緊張するんですが、同じ⼈間の気がしないんですよ。別格な⼈なんです。数々の作品で

何度も同じ舞台に⽴ちましたが、ジルは今でも現役のダンサーとしても活躍している。すごいと思います。

この前もBBLのフランスツアーの舞台で、僕を関係者の⼀員として⼿厚い待遇をしてくれて、今でもとても

良くしてくれる。本当に感謝しています。

ベジャールは、ジルと僕、クリスティーヌ(・ブラン)をベースに多くの作品を創作してくれましたが、

クリスティーヌは16歳でBBLに⼊団しているので、ジルにとっては娘と同じような感覚なんです。

これはだいぶ後になってジル本⼈に聞いた話なのですが「彼⼥は将来、誰と付き合うんだろ?」ということが

ジルにとってすごく気がかりだったみたいです。あとになって、それが僕だったので本当はどう思っているのか

分かりませんけど(笑)、今でも3人の信頼関係はとても強いです。

 

 

―これまでの出演舞台でターニングポイントとなった作品はありますか?

 

2002年に中村歌右衛⾨へのオマージュとして、ベジャールさんが僕のために振り付けてくれた『東京ジェス

チャー』です。僕は2000年に⾜の⼩指の骨折をしていて、怪我をする前は「結果をださないといけない」

という思いが常にありました。でも、怪我が治って舞台に復帰してからは、シンプルに「舞台を楽しみたい」

という思いが強くなりました。

 

そういう僕の姿勢を⾒て、あるときベジャールさんに⾔われたんです。

「ジュウイチ、君の踊りの何かが変わった。君に振り付けたいと思っているんだけど…」

でも、そこから先をなかなか⾔ってくれない(笑)。

なので、「それで?」と聞き返したら、「私に振り付けてもらいたかったら、ダンサーか らリクエストするのが普通じゃない?」とおっしゃるので、「いやいや、そんなの普通で きませんよ」と返したんですが、

結局「振り付けてください」とお願いしました(笑)。

 

好きな曲があったら教えてというので、「ワーグナーで踊りたい」と伝えたところ、彼の中では身⻑が⾼い⼈の

イメージだったみたいで、ほかの候補を考えることなりました。ベジャールさんは何を題材にするかも結構

悩まれていたようで、カフカの「変身」を打診されたんですが、「僕、昆⾍が苦⼿なんです」(笑)ということで、試行錯誤の結果、「中村歌右衛⾨」に決まりました。“変身”というイメージをもとに、ある⻘年が⼥形へ

開花していくというインスピレーションが閃いたようです。

 

―「ダンサーとしての美学」はありますか?

 

身体能⼒を向上させること。⽇々の熟練に尽きます。どう⾃分に向かい合い続けるか。

 

―今後の活動を教えてください。

 

やりたいことを模索してゆきたい。

まずは、⾃分の肩書きにある「元ベジャールダンサー」から現在踊っている「ダンサー・⼩林⼗市」に

なるために舞台で場数を踏みたいです。

コンテンポラリーにも興味があるので、今回を機に⽅向を少し変えて「脱ベジャール」を ⽬指してみたいです。

​【公演情報】

Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021

「エリア50代」
2021年9月23日(木・祝)~26日(日)KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
https://dance-yokohama.jp/eventprogram/008/

Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021

「Noism Company Niigata × 小林十市」
2021年10月16日(土) 、17日(日) KAAT神奈川芸術劇場ホール
https://dance-yokohama.jp/eventprogram/011/

【小林十市プロフィール】

1969年生まれ。1979年に小林紀子バレエシアターでバレエを始める。

数々の賞を受賞し、1989年、スイスのベジャール・バレエ・ローザンヌ(BBL)に入団。
『春の祭典』、『火の鳥』、『くるみ割り人形』、『シエラザード』など数多くのベジャール作品に出演。

BBLを退団後、世界各国のバレエ団にベジャール作品の振付・指導を行っている。

2004年『エリザベス・レックス』で俳優デビュー。以後、テレビドラマや映画、ラジオなどに出演するなど

俳優、ダンサー、振付家として活躍。現在はフランスを拠点に後進の指導にあたっている。
祖父は落語界初の人間国宝、故・五代目柳家小さん、弟は噺家・柳家花緑。

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